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サーフとロハス in ハワイ
ハワイでサーフィン、ランニング、オーガニック、ロハスでスローなライフを探究。
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2009.06.28 Sunday
Hawaiian Island Vintage Surf Auction
![]() ![]() 来る7月17・18日にホノルルのある「ブレイズデールセンター」で 行われます。 ランディー・ラリック氏が中心になって QuickSilverをスポンサーに行われます。 このオークションに出展される物はクオリティーが高く ”さすがランディー!” ネットワークの広さを覗わせます。 毎回世界各地から有名コレクターが集います。 前回の目玉は映画「Big Wednesday」のラストシーンで ジェリー・ロペスが実際に使った赤と黄色のライトニングボルト。 僕はこの映画の大ファンなので$5000で手を上げました ・・・・が結果は$15000! ドキドキして損したのを覚えています。 で、肝心な今回の目玉は同じく映画「Big Wednesday」 で同じくラストシーンで、ジャン・マイケル・ビンセント扮するMattが やはり実際に使用したBearのバルサ製スピードシェープです。 これも凄い金額になるのでしょうね。 私も何か出展して逆のドキドキを味わってみようかな? ![]() Toru
2009.05.15 Friday
Alaia
![]() 先日Wegenerから入手したパウロニアブランクスをノースに工場を構える、 ウッドボードの達人「Michael Tuten」氏にシェープして頂きました。 電動工具は一切使わずに#600迄仕上げてもらいました。 仕上げはハワイらしくKukuiナッツのオイル仕上げです。 シェープはテールのフレアー以外は基本的にお任せ。 ![]() ![]() ![]() 仕上がりは抜群! ボトムのノーズの周りをベベルして、パーリングを出来るだけ避け そのベベルをそのままワイデストポイントまで続けて その後はアップレールにテーパーしてフレアー部分によりフレックスを残し、 波のカールへの食い込みをよくしてあります。 ボトムはフルコンケープで走りを良くしてあります。 と言うよりかは、だそうです。
2008.12.01 Monday
Dick Brewer ディック ブルーワー(1936- )
ディック ブルーワー(1936- )は1952年、16歳の時にカリフォルニアでサーフィンを始め、
翌年ダブルエンダーと呼ばれた『Woody Brown 9'0"』 バルサ を購入、しばらく15フィートの 大波もその板で乗っていたという。1958年には最初のボードをシェイプし、1959年初めてガンをシェイプ。 それを片手にハワイに。その後一旦はカリフォルニアに帰ってくるが、ハワイの大波が忘れられず すぐにハワイに戻り、サンセットやワイメアでビックウェイブに乗り続ける。 ![]() 1961年ハワイでSurfboards Hawaiiをハワイのハレイワに設立。 自らシェイプしたボードやウェーバーのボードを販売していた。 主にガンをシェイプし、この かなり太めのウッドストリンガー入りの 『1963 Surfboards Hawaii Dick Brewer Pin Tail Gun』も同時期のものとなる。 ガンは1950年代初めにハワイの大波用につくられ、テールを細くすることで 波に巻かれないようにし、長く、厚く、重くすることにより大きな波でも安定させた。 当時はまだ波をまっすぐ進むことだけを考えられていた。 1950年代後半は巨大な台形のフィン''フル・ドラフト・フィン''が備えられていたが 1960年代になると後方にとがった形に進化している。 ただボードのアウトラインはかわらなかった為、直進性は相変わらずだった。 1968年にはいると軽量化が進みミニガンが誕生し、 徐々に重厚なガンは否定されていく。 ← 1963 Surfboards Hawaii Pin Tail Gun 11'4'' ![]() ブルーワーは1964年、ハワイの船舶がストを起こし アメリカ本土からのボード材料の供給がストップしたことで サンディエゴでボードを製作した。その後共同経営者とのトラブルで サーフボードハワイを去り、ホビー アルターとの間でボードを製作し 『Hobie Dick Brewer Gun』がうまれた。 左の写真は88本存在するうちの#11。ハジー・トレントのボード。 (エイムックからの引用) またBingで『Pipeliners』の作製や後のミニガンや デビットヌィーヴァモデルに大きく貢献した。 ハワイカウアイ島に戻ったディック Dick Brewer Surfboardを設立。 その後家族の不幸などが有ったがその都度、シェイプに専念することになる。 彼のシェイプ理論に影響されたハワイ、カリフォルニアのレジェントたちは数知れず、 現在でもカウアイ島にてサーフィン、シェイプに従事している。
2008.02.02 Saturday
Bing Surfboards David Nuuhiwa Noserider Model 9'8''
1966-69年頃製作
5ストリンガー,フォーム,レッドウッド,バルサ素材 Bing Surfboardsは1959年に Herbert "Bing" Copeland によって設立されました。 ![]() Bingはベルジーにシェイピング 技術を習い、1960年代に数々の ボードを製作し、その中でも 'ノーズライディングの王様' と呼ばれていた 'ディビット・ ヌィーヴァ' のノーズライディング モデル(左の写真)は、そのクセの ないスタイルで40年たった今でも 絶賛されています。 WINGNUT'S ART OF LONGBOARD 3 THE QUEST FOR STYLE のサーフビデオ にてジョエルが最後に使用しているボードが このヌィーヴァモデルのレプリカです。 クラシックな乗り方とはどういうものか、 ジョエルの解説付きで紹介されており、 非常に勉強になります。 ![]() この写真のボードは1960年代のヒッピーたちの 間で流行した、 'Flower Power' ムーブメントに 影響されて、フラワーペイントが施されています。 また、 'ディック・ブルーワー' 製作の 'Bing Pipeliner' (下の写真)は、のちのビック ウェーブガンに多大な影響を与えることとなります。 ![]() このヴィンテージボードはオークションで$4,000ほどの 価格がつけられていました。 60年代後半のショートボード革命後も、 Bingは数々のショートボード、ロングボードをつくり続けています。 また 'thrusters' と呼ばれるトライフィンを、 トライフィンが世に浸透する10年ほど前から使用していました。 Bingのボードは、ファイバーグラス、バルサ、 フォームなどを使用して軽量化が図られました。 おかげでサーファーは、お気に入りのボードを担ぎながら、 アメリカ中、世界中を旅することが出来るようになりました。 その後急速にサーフィンが広まることになります。
2006.02.08 Wednesday
究極のヴィンテージボード
ヴィンテージボードの究極とは。
1500 B.C.〜 400 A.D. ポリネシアの人々がサーフィン -板の上に立って波にのる- を始めたと考えられています。 カヌーを使い漁をしていた人々の間で、 沖に止めたカヌーから岸にたどりつく方法として、 厚い木の板を利用したのだと思います。 浅いリーフの海を、かんたんに、 一番早く岸にたどりつく方法。 それが板で波をすべることでした。 彼らは stoked (ハイになる) したでしょう。 ![]() このカヌーに積んだ板や、カヌーに使用された 板や、そこらへんに落ちていた木片が 究極のヴィンテージボードといえるでしょう。 それからかなりの月日が経ち、 移動の手段ではなく、楽しむ為に 波に乗るという文化ができました。 これがサーフィンの始まりです。 ハワイ語で 'he`e nalu' -波をすべる- と言います。 ポリネシアの人々は生活を海に依存していました。 カヌーを使い漁をします。いいカヌーを造らなければ 漁はできません。道具にこだわり、技術を発達させます。 生活は海のそばで行い、貝をとるため、 魚を見つけに海にもぐります。 また南国日差しを避け海にはいります。 体を洗い、食料を洗います。 子供たちは木の板を海に放り投げ、 海に飛び込み、波がせまってくるのを感じ、 板の上に勢いよく立ちあがっていたでしょう。 もっと安定した板、それに遊び心が加わり ターンのできる板へと進化させていきました。 彼らがサーフィンの文化を築き、 サーフィンが生活の一部となります。 それからまたかなりの月日が経ち、 1900年初頭、ハワイアン・コアの木を 使用した重い板で優雅にワイキキの波をすべる デューク・カハナモクがサーフィンをみせるための スポーツへと変貌していきます。 厚い木の板であろうが、プラスティック であろうが、ロングであろうが、ショート であろうが、サーフィンには言葉では説明 ができない、魂で感じるものがあり、 それを私たちは代々共有しています。 この時代を越えて永遠に引き継がれる ソウルを大事にしたいと思います。 |
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Surfer's House
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